男の子にいじめられるのが嫌/そんな奴はシメなあかん~機根は根強い~

仏教的思考

 さて、常時エピソードの濃さが他を上回るため、もっぱら本ブログは、我が長女の愚痴ブログと化しております。今回も基本路線はそれですが、発端といたしましては、最近、次女が学校で困っていることを相談してまいりましたことでございます。それが、クラスのやんちゃ男子達にいじめられるのが嫌だというのです。

何をされるの?と聞くと

・授業中に振り返って中指を立ててくる。

・たたかれたり、チョップされたりする。

・机に置いてある筆箱をわざと落とされる。

などなど、話しを聞いていると、小学生あるあると言いますか、小学生の男子って気になる女の子に変なちょっかい出しますよね。まあ、そのレベルであって、いじめという感じではないかなとは思うのですが、次女にとっては本当にそれが嫌みたいなのです。とても楽しい学校生活の中で、どうしてもそのような嫌な行為をされるということが心につっかえて、悲しい気持ちになるようなのです。

「先生に相談してみたら?」

と言いますと、

「言ってるし、先生も怒ってる。でも、先生に言おうとすると舌打ちされるから怖いねん。」

と言うのです。何ともかわいそうに。一応、私からも先生に電話をして、私が言うようなことではないのですが、自分で相談しにくいということで、少し、気をつけて見ていてあげていただくとありがたいです。とお願いしたのですが、その男子、一行に止める気配がないらしく・・・。

 で、ここからが少しややこしいことになったのですが、思い悩んだ次女が長女に相談してしまったわけです。血の気の多い長女はそれを聞いて、

「は? 1回シメとかなあかんな・・・。 誰の妹やと思ってんねん。」

と・・・なってしまいました。正直、これは、かなりまずい状況です。ところが、その一言に勇気をもらった次女は、学校でちょっかいを出してくる男子に

「やめへんと、私のお姉ちゃんがシメに来るで。お姉ちゃん、めっちゃ怖いで!」

とやっとの思いで言ったようなのです。そこから、また、よろしくない方向にことが進み、その男子たちが今度はろくに知りもしないお姉ちゃん、つまり長女の悪口まで言い出したわけです。

「おまえの姉ちゃんザコやな!」「おまえの姉ちゃんなんて怖くない!」「俺らのこと殴れるものなら殴ってみろ」みたいなことですね。

頼りのお姉ちゃんを侮辱されて大変傷ついた次女は、また悲しくなって

「お姉ちゃんを馬鹿にされた・・・。」

とボソボソ言うわけです。それは、悲しかったなと慰めつつ、「それは、お姉ちゃんには絶対に言ったらあかんよ!」と言ったのに、気づけば全部報告しておるわけです。どうしてもお姉ちゃんに聞いて欲しい次女。ところが、当然、これについては、長女もキレまくり、

「明日、小学校に行って文句言ってやる!!!」

と、もう本当に小学校に乗り込む勢い。とにかく、頼むから止めてくれと、必死で止めました。すると、今度は、

「だいたい、お前が弱いからそんなことになるんやろ。男子なんかちょっと殴ったらすぐ弱っちくなるんやで、やり方教えたたるわ!!」

となりまして、謎のアドバイスを次女に送り出しました。一連のアドバイスが以下です。

「ええか、私も3年生の時に机に置いてるもの落としてくるアホな男子がおってん。大体そういう奴はな、対して強くもないくせに、謎にイキってんねん。だから、その時は、そいつの机の中に入ってた教科書全部取ってな、重かったから、Sちゃんに半分持ってもろて、2回に分けてな、窓から校庭に全部投げたったんや。そしたら、そいつ、それまで、あんなにイキってたくせに、『こんなはずやなかった』みたいなこと言って大泣きし出して。だから、もっと腹立って、『校庭行って、自分で拾てこい!』って言ったったんや。そしたら、もう2度とうっとうしいことして来んかったで、あんたもそのくらいやったったらええねん!」

いや、それはダメでしょ・・・。って感じですよね。っていうか、不本意にも巻き込まれたSちゃんが気の毒でなりません。上記の出来事があった後、校庭に教科書が降ってきたわけで、当然ですが、「何があったの?」と先生か数名走ってきてちょっとした小騒ぎになったのは言うまでもありません。ただ、先生が立派なもので、一体何があったのか、その一部始終を見ていた周囲の友達に聞いたのです。客観的に見ていた友達が、始めにちょっかいを出していたのは男の子の方だったこと、それにキレた長女が教科書を校庭に投げたことをちゃんと順序立てて説明してくれたようでした。先生はその友達の話しを聞いて、「その通りですか?何か違いますか?」と当事者達に確認してくれました。片方は大泣きでしたが、長女は全くその通りだったので、「その通りです。」と答えたのです。

結局、止めてと言われているのにちょっかいを出した男の子も悪い。ところが、キレて校庭に教科書をばらまいた長女も悪い。下に誰も歩いて無くて良かったけど、もし、下に人がいたら大変なことでしたよ!!と注意され、喧嘩両成敗的なところで落ち着いたらしいのですが、当然、その後、どの男子も彼女に無駄なちょっかいを出すようなことはなくなりました。長女としては、結果、大成功と思っているようなのです。 

ところが、以上のアドバイスを聞いた次女は

「そんなことできひん・・・。」

と困ってしまって、もっと落ち込んでしまいました。しかも、まるで、長女が学校に乗り込んで来るのを望んでいるような表情。次女は次女で、

「1回お姉ちゃんに会えば、どんなに怖いかわかるのに・・・。そしたら、きっと私もいじめられへんのに。」

と、私が必死で長女を止めていることに対して、むしろ残念そうにしているのです。もう、どうしたら良いものか・・・。

と思っているうちに、幸い、小学校は席替えに。席が離れたことで少しいたずらも減ったようで、さらに夏休みに入りましたから、長女が乗り込まずとも、とりあえず何とか落ち着きそうです。

さて、ここで話題にしました2人、当然ですが親も同じ、生まれた病院も保育園も同じ、通っている小学校も公文もダンススクールも同じ。それなのに、人間性がまるで違う。よく考えると結構、不思議ではないですか。同じ環境で生まれ育っているのに、どこも似ていないくらい違う(顔は多少似ていますが)。そんな様子を見ていて、機根という用語を思い出したのです。

機根というのは、仏の教えを聞いて修行することができる能力、もしくは仏の教えを理解する度量のことを指します。つまり、それぞれの衆生の持つ仏教的素質といったところかと思います。「機」というのが心の機縁、働きを指し、「根」というのがそれぞれの性質や性格のようなものを意味します。ちなみに、今では一般的にも使われる根性という言葉も元は仏教用語で、機根に由来し、同じく仏教的素質を指す言葉です。転じて徐々に、「その人が本来的に持っている性質」というような意味の一般用語として使われるようになりました。仏教と呼ばれる哲学の範疇で様々な考え方が語られるのは、それぞれの機根に合わせて様々に説かれるためだと言われます。お釈迦様の対機説法の「機」も機根の「機」なわけです。

さて、この機根というのは、持って生まれた素質ですから、生まれてから変化するようなものではありません。つまり、どんなに、同じ環境下で育てたとしても、生まれ持った素質が違えば、同じようにならないのは当然です。そして、どんなにその性質を変えようとしたって、それは不可能なのです。ところが、思い返してみますと、私も以前は長女のあまりの横暴さを何とかねじ曲げようと、押しつけようとしていた時期があったように思います。当然、彼女の鉄のような気質はねじ曲がることを拒否してむしろ、こっちが弾き飛ばされるような気持ちになったことが何度もありました。しかし、それを機根と捉えて良く考え直してみますと、そんな努力は全く無駄中の無駄な行為なわけです。本当に無駄な労力を使って意味の無いことをしたものだと、少々、後悔しております。もっと早く、機根と捉えて対処すれば楽だったかも・・・。

姉妹はDNA的に近い存在なはずです。それでも、みんな持って生まれた素質は別物。同じようにやろうとする方が無理だということを知っていることは大切かもしれませんね。

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