永観堂で長谷川等伯

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 京都・永観堂禅林寺では、12月3日まで、長谷川等伯筆「波濤図」を中心に、寺宝展を行っております。一気に10幅の「波濤図」を見られるまたとない機会。また、釈迦堂でもレプリカによる再現展示をしております。

これは、修理後の初披露となります。

 禅林寺の釈迦堂に並ぶ障壁画には長谷川派と狩野派の両方が見られます。桃山時代、この両派は壮絶なライバル関係にあったと考えられ、両派の絵画が同じ堂内に存在するのは極めて珍しいことです。中でも、かつて釈迦堂・中の間を彩っていた「波濤図」は長谷川等伯自身の作品と断定されており、その迫力ある波と岩礁の描写は群を抜いて印象的です。

 12幅に渡る「波濤図」には、画面全体に岩塊が十数カ所配置され、その間に、時に粗く、時に細かく様々な表情の水流が曲線であらわされています。線と線の間には淡い墨でぼかしが施され、水の立体感を醸し出していて、波を近接的に描くことで、実際に目前で見ているような実感を伴った描写を感じ取ることができるのです。岩面に波打つ水流は泡立ち、渦巻き、岩にぶつかって立ち上がり波頭が巻き込む、というように様々な表現が見られます。本作品より以前にも波を景色として添える絵画は存在しますが、波そのものを主題とした作品としては、最も早い時期の絵画として注目されるのです。また、岩の表現は等伯の技法そのもので、筆の側面を使い、鋭く線を入れて、まるで斧で割ったような、もしくは平板に薄く切り取られたような峻厳な岩面を描き出す等伯独特の皴法(しゅんぽう)が大胆に施されています。

 この、等伯の波濤の表現はその後江戸時代に至って、狩野派にも影響を及ぼし引き継がれたと言われますが、それらに本作のように水面近くで一望しているかのような「実感的」な視覚体験は見られず、表現手法は大きく異なっていると言え、等伯の独自性と高い技術がうかがえるのです。

 さらに大きな特徴としてあげられるのが、金箔の雲を背景に漂わせていることです。画面下には金箔の雲が長く棚引き、画面中ほどから上にかけては岩の後ろに廻り込む金雲も見られます。これは、装飾性を高めるために施したのでは決してなく、暗い寺院室内において、ロウソクの火の下で障壁画が見られることを想定した手法です。実は、ロウソクのような淡い光で金箔を照らすと、金属的な強い反射ではなく、独特の透明感が生み出されます。岩の背景に雲が廻り込む描写も意図的で、金の視覚効果によって、波と岩の間が抜けて見えるような空間を物理的に生み出しているのです。そこに、現実には水に存在しない線を重ねることで、見る人の目に、実際に波間に漂うような感覚を持たせる視覚体験を生み出すのです。   これらは、いわゆるリアリズムとは異なる表現方法で波の景観をリアルに感じさせる、等伯にしかできない大胆かつ高度な手法と言えましょう。

 更に、長谷川派による「山杉図」や等伯自身の手がけた「檜原いろは歌」といった屏風も同時公開し、禅林寺に息づく長谷川派絵画の世界を紹介いたします。禅林寺の釈迦堂は長谷川派と狩野派の絵画が同時に見られる珍しい場所です。特に桃山時代の長谷川派絵画には素晴らしい作品が多く見られ、「竹虎図」や「楓雉子図」は今でも堂内で本物が見られます。ところが、当時この両派は壮絶なライバル関係にあったと考えられており、同じ堂内に両派の絵画が存在することは、ほとんどありえません。

そこで、どのような経緯でこれらの障壁画が禅林寺に納められたのかが気になるところですが、この点についてははっきりわかっていません。しかし、桃山時代の禅林寺の大檀越に豊臣家があったことは様々な記録から明らかになっています。等伯は豊臣秀吉に重用されたことが知られていますから、恐らく、秀吉の力が背景に働き、長谷川派と狩野派の両派が同時に障壁画を納めるに至ったと考えるのが妥当でしょう。奇しくも桃山時代前後は本年の大河ドラマで取り上げられている徳川家康が生きた注目の年代でもあります。今年度の寺宝展は、その当時の禅林寺の空気を存分に味わっていただける展示となっています。

 秋も深まり、紅葉も存分に楽しんでいただけます。是非、お越しください。

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