鬼母「おにばばあ」

仏教的思考

 さて、久しぶりの更新でございます。誰も待ってはおられないと思いますが、お待たせいたしました。本日も、我がご長女様の発言を切っ掛けに面白い想像をしてしまったもので、ちょっと、書いてみたいと思います。

 数ヶ月前のことらしいのですが、中学校の授業で漢字の成り立ちを理解するために、自分で漢字を作ってみようという授業があったのだそうです。私が中学生の時にそんな授業あったかな?、多分無かったと思います。中々、面白い良い授業ではないかと興味深く聞いていました。

 漢字の「へん」や「つくり」を自分で組み合わせて、その漢字の意味を考えるというような内容であったようです。学校の教育もどんどん進化しているなと中々感心いたしました。

 ところが、漢字が超苦手な長女。普段のレポートなどちょっと盗み読んでみますれば、小学3年生の次女より漢字が少ない。ほぼ、ひらがなで、良く、先生方はこんな読みにくい文章を読んで丁寧に赤を入れてくださっていると、大変に申し訳ない気分になります。そんな漢字嫌いの長女がどんな漢字を考えたのだろう。というより、漢字を作ること自体ができたのだろうか。と思い、

「あんたは、どんな漢字作ったの?」

と聞いてみますと

「あのね。鬼に母と書いて、発表したら、みんなが、わかる!わかる!って言ってくれた」

と言うわけです。なんとなく嫌な予感がいたします。

「何それ、どうやって発表したの?」

とやぶ蛇とわかりつつ聞きました。すると

「鬼に母と書いて、『おにばばあ』と読みます。怒った時のお母さんを表す漢字です。」

と発表したと言うわけです。やっぱり・・・。ですよね。と思いつつ、思いついたとしてもそのような発表をしたら、どんなに怖いお母さんなのかと思われるではないかと、何とも言えない気分。

「よりによって、そんな発表せんでもええやろ!!」

と、長女に文句を言いました。そうしますと

「仕方ないやん。それしか思いつかへんかったんやもん。」

なんということでしょうか。私は、ネタにされたわけですね。お恥ずかしい。今度学校に行ったとき、どんな顔をして行けば良いのでしょう。

 ところが、ふっと彼女が言った「それしか思いつかへん」という言い草にちょっと引っかかったのです。というのも、直感的に「あー、この人、私にすごく執着してるのね。」と思ったからです。しかも、執着しようと思っていないのにどうしてもそれしか思いつかないほど頭にこびりついているわけです。長女の阿頼耶識は私で一杯なのかもと思って、私で一杯の長女の阿頼耶識を想像して面白くなっちゃったのです。

 仏教では、人の心が色々と分析されているわけですが、特に唯識の見解として人の心を8つに分類する八識という捉え方があります。この八識をベースにして天台では九識を数えたり、真言では十識まで数えたりするわけですが、この8番目の識の名前が「阿頼耶識」です。八識の説明は他のサイトでも沢山行われていますから、あえて全部はしませんが、長女の阿頼耶識がお母さんで一杯とはどういう意味でそう思ったのかということだけ、ちょっと説明してみます。

 八識の考え方においては、視覚や聴覚と言った、感覚器官から受ける情報を捉える心が表側にありますが、もっと奥深い所に心の根源のような識を配置します。これが「阿頼耶識」です。さらに、この「阿頼耶識」に一生懸命執着して自分を自分として保っている「末那識」という七番目の識があります。この、「末那識」と「阿頼耶識」の働きは、我々には基本的に感知できません。「阿頼耶識」というのは、我々の肉体の生滅にかかわらず、ずっと以前より存在し、ずっと未来に続いていく識だと言うのですが、やっかいなことにそこに我々がおこなった、もしくは受けた全ての行為、心に思った全ての事柄が蓄積されると言うのです。考えただけでも恐ろしいですが・・・。この蓄積される1つ1つの事柄を「種子(しゅうじ)」と呼びます。蓄積された1つ1つの事柄が今後の我々の行動の原因すなわち種になっていくから、種子というわけです。つまり、自身の身に起こった全ての経験が消えることなく種子として阿頼耶識に蓄積されており、何らかの外的きっかけによって、表側に出てくることで、また、その人が何らかの行動を起こすと考えられています。

 なんだかややこしい話しですが、話しを元に戻しまして、つまりですね、「鬼に母と書いておにばばあ。怒った時のお母さんです。」「それしか思いつかへん」といった会話をした時、私が想像しましたのは、私という種で一杯の長女の「阿頼耶識」。もうおかしくなって来てしまって、「なんだかんだ言ってかわいい奴やな」なんて思ってしまったわけです。

 まあ、私がふっと想像しただけで、全く正しい見解というわけではありませんよ。その点はお許しください。とにかく、彼女の意識の及ばないレベルで、私だらけになっているのかもしれない長女の心の奥深く。母親とは実に影響力の強い存在です。

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