子供達とドイツ珍道中物語②

我が子のお話し

子供達とドイツ珍道中物語①の続き

さて、入国時の迷子トラブルを乗り越えて、何とか、ドイツの国内便乗り場に到着しました。ミュンヘンでは1時間半ほどありましたが、乗り場を見つけるのに右往左往し、子供達をトイレに連れて行ったり、意外とすぐに過ぎてしまったような覚えがあります。もう一度、さっきより小さな飛行機に乗って、ミュンスターを目指します。たくさん飛行機に乗れるもので、次女は大喜び。私は、実はあまり飛行機が得意な方ではないので、そんなに、嬉しくはないのですけどね・・・。しかも妊娠中、とても不思議なのですが、妊娠中って、そうでない時より怖がりになりませんか?私だけでしょうか。長女を妊娠した時、少し大きくなりかけたくらいのお腹で和歌山の三段壁の上に行ったことがあります。これまでも何度も行ったことのある場所なはずなのに、それまで行けた崖の上がものすごく怖くて、足がすくんでしまったことがありました。この時もいつもより怖がりになっていて、特に小さな飛行機って結構揺れますし、揺れるたびに、私の方が次女の手をぎゅっと握りしめてしまいました。

ミュンスターの空港から、妹の住む町までは意外と遠くて、バスで1時間ほどかかるとのことでした。空港までは妹のご主人が迎えに来てくれていて、久しぶりの再会に嬉しそうな長女が大はしゃぎでした。それもつかの間、急に長女が「あっ!」と叫びます。全く、日本でもドイツでも、どこにいたって、騒がしさは筋金入りなのです。「人がのぼってるでー!」と指さす方向を見ますと、本当だ、人がのぼっている。よく見るとマネキンでした。と言いますか、ドイツで聞くと関西弁ってさらに際立ちますね。

「なんで、あんなのがあるんや?」と興味しんしんでしたが、そんなことはわかりませんし、疲れていましたので、もはや、無視しておりました。

その日は、到着したのが夜でしたので、少しだけ妹の家に寄った後、全員では妹の家に泊まれないので、我々親子3人は、一応予約しておいたゲストハウスに向かい、駅で買ったパンを食べて就寝いたしました。それにしても、日本と違って、夜の10時頃まで明るいのです。それが嬉しかったのか、とても楽しそうな子供達。大きなベッドに私と長女と次女の3人で寝ることにしました。ドイツは夏でも涼しいらしいと聞いていたのですが、その年は日本とあまり変わらないくらい暑くて…。でも、普段は涼しいからでしょうか、冷房が無いのです。そこで、窓を全開にして就寝しました。この窓全開が、次の日の朝に思わぬ事態を招くこととなるとは想像もしておりませんでした。

私は、思ったほど眠ることができず、朝の6時頃には目が覚めて、それでも娘たちが寝ていたので、ゆっくり歯を磨いたり、顔を洗ったり、身支度を整えておりました。しばらくして、私が動き回っている気配に気づいたのか、次女が目を覚まし、窓から見える風景を楽しんだり、お着換えをしたりして過ごしました。ゲストハウスの真ん前には教会があって、時計塔が見えます。中々風情のある街です。寝坊助の長女はドイツでも寝坊助でお腹を出して、なぜか枕とは反対の方向に頭を向け、一人、グースカと寝ております。そんな夢心地の長女に、この後、悲劇が起こったのです。

多分、朝の8時頃だと思うのですが、本当に突然、向かいの教会の鐘が、正に爆音で鳴り響いたのです。窓を全開にしていたので、本当に驚きました。起きていた私と次女もびっくりしたのですが、寝ていた長女の驚きようと言ったら、今思い出しても笑ってしまいます。

「わー!!」と叫んで飛び起きたのです。

「何?何?」と寝ぼけ眼でキョロキョロしています。私は、これは良い!!起こす手間が省けたぞ!と思いました。

「向かいの教会の鐘が鳴ってるみたいよ、すごい音だね」

なんて話しますと、窓から顔を出して、教会を確認したご様子。また、この鐘、結構長いこと鳴り続けるのです。やっと、鐘が鳴り終わると、とても静かに感じました。

「あー!びっくりした。」と長女はベッドに腰かけて呆然…。と思ったら、また、寝ようとしてましたが…。

その日は、妹宅にお邪魔して、楽しみにしていた、従妹と初めてのご対面。4か月の赤ちゃんでしたが、二人とも、本当に上手にかわいがりました。赤ちゃんも目を輝かせて、すごく刺激を受けている様子が見受けられました。赤ちゃんって不思議です。大人より子供同士の方がずっと刺激を受けるんですよね。特に、長女はさすが?と言いますが、相手が赤ちゃんでも関係ありません。上手に自分のペースに持ち込んで、やたらと笑わせていました。その様子を見て、私がドイツに行こうと思うことを伝えた時、騒がしい長女がやってくることに気後れしている感のあった私の妹も一安心したようで、嬉しそうでした。

その後、ミュンスターの町を案内してもらいました。中々、歴史の深い、古い町で、妹も言っていましたが、どことなく、京都との共通点も感じるような雰囲気。

妹の家から徒歩で、ミュンスターの中心地区に案内してもらいました。そこで、まず見学したのが聖ラムベルティ教会です。下の写真でひときわ目立つ尖塔がラムベルティ教会の時計塔です。

ミュンスターの街並み

こちらの教会ですが、中々、生臭い歴史のある教会のようです。ヨーロッパの歴史区分で言いますと、近世ヨーロッパの初期頃となるのでしょうか1534年に「ミュンスター再洗礼派の反乱」という事件が起こりました。ヨーロッパの宗教改革と言えば、キリスト教における改革です。当時のローマ・カトリック教会に改革を求める運動で、諸々のプロテスタント教団を生みました。ルターやカルヴァンのそれが有名ですが、そのような大きな集団だけでなく、小さな集団もあったそうです。その一つが再洗礼派と呼ばれる人々で、生まれたばかりの赤ちゃんに洗礼をするのではなく、物心がついて信仰の意思を持てるようになってから洗礼すべきであるとして、生まれてすぐの洗礼を無効とすると主張したそうです。こういった主張をする人々はかなり迫害されたのだそうで、多くの処刑者を出したと言います。ところが、ミュンスターで、この再洗礼派が例外的に権力を握ったのだそうです。当時は神聖ローマ帝国時代です。帝国において再洗礼派は異端、反乱者として処刑の対象でしたから、ミュンスターは帝国諸侯に包囲され、食糧も入ってこなくなったそうで、この神政権は長く続かず、わずか1年足らずで占領され、ミュンスター再洗礼派の最高指導者3人は拷問を伴う尋問を受けた上、公開処刑されたそうです。3人の亡骸は見せしめのため鉄の籠に入れられて聖ラムベルティ教会の尖塔につるされました。この3つの籠はなんと当時のまま、いまでもつるされています。

つるされている鉄製の籠(撮影長女)

「わー、本当だ籠が3つつるされているね!」

と私、大変、テンションがあがりまして…。日常的には基本的に日本の仏教を研究しておりますが、歴史という観点からいたしますと、ヨーロッパ史も中国史もどちらかと言えば大好きなわけです。特に、高校の時、世界史で宗教改革のことなど勉強した時は、実際にその場には行けないわけですから、頭の中で想像を膨らませて、色々、考えていましたもので、こんな歴史遺産を生で見られるなんて!! と気持ちが高ぶりました。

私が籠を一生懸命見ておりますと、さっさと教会の中に入っていく婆孫たち…。あれ?意外とテンション上がらないのかな?と思いつつ、急いで追いかけました。

中はまた、本当に落ち着く雰囲気で、もちろん、建築様式がちがいますから、日本のお寺などとは全く違うのですが、宗教施設としての共通点は感じるのです。どの国でも、心に秘めた信仰のために、本気で作ったものには雰囲気があると言いますか。私はガラスが好きなもので、教会のステンドグラスにはとても感動いたしました。

また、ミュンスターは、あの三十年戦争を終わらせたウェストファリア条約という条約が締結された地でもあるのだそうで、その条約締結場所である市庁舎にも立ち寄りました。ウェストファリア条約と言えば、今で言います国際法の端緒となった条約です。ミュンスターは第二次世界大戦で半分以上が破壊されたそうです。後で、調べてみたら、この旧市庁舎も元通りに再建されたとういうことでした。

ミュンスター条約締結の図(ヘラルト・テル・ボルフ画・出典:Wikipedia)

中の平和の広間はこの絵と全く一緒でした。ここで、世界が近代への道を歩みだしたのか!!なんて思いますと、もう、わくわくしましたが、気を抜くと次女が結界の向こうに入ろうとするので、意外とゆっくり見れませんでした。できればもう一度見に行きたいな・・・。

そして、もう一つ訪れたのが、聖パウルス大聖堂です。こちらには有名な16世紀に作られたと言う天文時計があります。運よく動いている所を見ることができました。中々精工に仕掛けが作ってあって、音楽とともにお人形がたくさん出てきます。次女が食い入るように見入っていたのが印象的でした。

その後、パン屋さんでパンを買い、芝生で昼食。しかし、良く歩いたな。結構暑かったし、前日の寝不足とつわりのせいで疲れてしまって、思うように楽しめなかったのが残念でしたが、子供達は初めて見る光景にたくさん刺激を受けたことでしょう。

さて、その後、一旦妹宅にもどりまして、妹のご主人に夕食を食べにレストランへ案内してもらいました。夕方に差し掛かると、少し涼しくなってきて、外の座席が気持ち良いねと外でいただくことに、スープやサラダなどが先にやってきました。その中で長女が気に入ったのがこれ、

妹が「ルートビートだな」と言っていましたが、いわゆるビーツの酢漬けですね。「何?この赤い丸いの?」と言いながら食していました。ドイツのサラダは基本的に酸っぱい印象です。酢漬け系統の漬物が必ず入っているのです。

そして、妹のご主人一押しの料理がこれ

なんだよこれ!! とりあえずでかい!! なんというか、ドイツらしいといいますか・・・。例えば、フランス料理だったりするとこういう感じじゃないですよね。イタリアやスペインともちがう。なんというか、見た目の繊細さみたいなものはほとんど気にしない感じで、とりあえず食べてうまけりゃ良いのよって感じの豪快さを感じます。アイスバインという料理だそうです。豚のすね肉の煮込みらしいです。

ところが、この料理が出てきたとたん、不思議なことに、大量のハエが寄ってきたのです。すると、長女がもう、信じられないくらい「ギャーギャー」騒ぎ立てて、「ハエ嫌いー!!何でこんなにたくさんいるんやー!!」と暴れだしまして…。本当に恥ずかしかった。きっと「なんだ?あのアジア人の子供は?」とか思われていただろうなと思います。騒ぎを察知した店員さんがお店から出てきて、急いで中の席に案内してくれました。迅速かつ親切な対応に感謝です。でも、これはこれで良くて、素敵な店内だったのです。

さっきまで、ハエに騒ぎ立てていた長女も落ち着きまして、肉をかっ食らっておりました。実は、私、妊娠中でしたから、ドイツに来たのに、大好きなビールを飲むことができないわけです。でも、わざわざ、ドイツに来たのに、一杯も飲まないと言うのはあまりに勿体ないと誘惑に負けまして、この日、1杯だけいただきました。これ以降は頂かなかったのです。この日だけです。それが、やっぱりおいしかった! また行く機会があったら、たくさん飲んでやるー!! ちょっと悔しかったですね。

ミュンスターは、かつて街を囲む城壁があった場所が、旧市街を囲む緑化ゾーンとなっていて、プロムナードと呼ばれる並木道がとても癒されます。後で調べたら、あの並木は菩提樹なんだそうです。知ってたらもっとちゃんと見たんだけどな…。その日もそんなプロムナードを歩いて帰りました。 とても楽しかったのですが、私、その日はすごく疲れてしまって、情けないことに、妹の家でダウンいたしまして、気づいたら眠ってしまって…。その日は母と長女がゲストハウスに泊まってくれました。

子供とドイツ珍道中物語③(ケルン編)に続く

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