具合の悪いお釈迦様では頼りにならない

我が子のお話し

私は、かつてとある大学博物館で学芸補佐の仕事をしていたことがあります。その時に絵解きをテーマにした展覧会をしたことがありました。その時、長女はまだ3歳の一人っ子だったのですが、この展覧会に本当に面白い反応を示したことを覚えています。そこで、今回は、その時の彼女の様子を紹介したいと思います。

さて、度々、本ブログでも触れておりますように、我が家では仏様が絶対的存在です。当時3歳の娘にとっては、小6の今より、本当に大きな存在でありました。あの頃は、仏様のものまねをするのが得意で、私が、「阿弥陀さん!」とか「お不動さん!」とか「蔵王権現」とか言うと彼女なりの形態模写をしていたことを思い出します。それくらい、仏様が好きでした。

私が、内部のものでしたので、オープンの前日だったのか、開館時間終了後だったのか、良く覚えていないのですが、とにかく、特別に、誰もいない展示室に娘と一緒に入れてもらったように記憶しています。娘は、展示室で意外と興味深そうに展示作品を見ていました。しばらくすると、娘が

「わー!大変や!」

と騒ぎだしました。今までおとなしかったのに、どうしたのかと思い、様子を見に行くと、中山寺様よりお借りしていた閻魔堂の彫像群の前でなぜか、やたらと焦っているのです。そこには、十王像のうちの数体に加え、奪衣婆という死者の着物を奪って木に引っかけ、その重みで生前の罪を測るおばあさんや地獄の鬼の像なども一緒に並んでいました。

「どないしたん?」

と聞きましたら

「どうしよう、鬼に捕まったら大変や、閻魔さんに怒られるー!」

と焦っているのです。そこに、閻魔王の像はなかったのですが、十王ならだいたいどれも同じに見えたんでしょうね。閻魔さんしか知らないので、閻魔さんと言ったのでしょう。幼いころから素行が悪かった長女。悪いことをしている自覚はあったのかもしれません。急に怒られると思ったのでしょうか?私が怒ってもそんなに効き目がないのに、鬼や閻魔様はよほど怖いのですね。そこで、

「あんた、悪いもんな。そりゃ、怒られるわ。」

とちょっと脅してみました。すると、

「あかんわ、仏様に助けてもらわな! さっき、仏様いはったんやでー!」

と走り出したのです。本当は展示室内は走ってはいけません。しかし、他にお客様がいらっしゃらなかったのと、そこまで危ない様子ではなかったので、まあ、良いかとついて行くと、閻魔堂彫像群より手前に展示してあった、涅槃図の前で止まったのです。涅槃図とは、お釈迦様がお亡くなりになる時の様子ですから、真ん中に大きなお釈迦様が体を横たえており、周囲で様々な人々や動物だけでなく、菩薩や鬼神に至るまで、お釈迦様の死を悲しんでいる様子が描かれた絵画です。長女はこれをしばらくじっと見ているのです。そして、不思議そうに

「お母さん、この仏様は寝てるんか? なんで、みんな泣いてはるの?」

と言うようなことをつぶやきました。そこで、ここは普通に、

「これはな、お釈迦様が死んでしまうときの絵で、もうすぐお釈迦様が死んでしまうから、皆、悲しくて泣いてるんやで。」

と説明しました。そうしましたら、また、悲壮な顔になり、

「どうしよう!! 具合の悪いお釈迦様ではあかんねん。元気な仏様でないと頼りにならへん。」

と困り果て、また、やたらと焦って展示室中、元気な仏様を探し回りだしました。

あまりにも面白いので、しばらく放置して見ていたのです。そして、とうとう見つけたのが、当麻曼荼羅でした。長女は当麻曼荼羅の前で急ブレーキです。当麻曼荼羅は『観無量寿経』の変相図です。真ん中には大きな阿弥陀如来が観音菩薩、勢至菩薩の脇侍をはじめとする聖衆を伴って描かれます。まわりはお浄土の風景ですから、立派な楼閣や宝の池なども描かれている、中々荘厳な絵画です。これを見て

「ああ、良かった、この仏さまは元気そうや、お友達もたくさん連れてはるし。」

と安心した様子。まさに、地獄に仏と言ったところです。その前で黙って手を合わせました。

「これで、仏様が守ってくれはるから大丈夫や!」

とすっかり気が大きくなって、もとに戻ってしまいました。あの時は、当麻曼荼羅が見つかるまで、もう少し、時間がかかったら良かったのに、なんて、少し意地悪なことを思いました。

しかし、本当に子供と言うのは、大人には無い感覚で物を見ます。涅槃図を見て「具合の悪いお釈迦様では頼りにならん。」などと言う感想を聞きましたのは、未だかつて、わが長女の口からのみです。子供と一緒にいるだけで、毎日、発見の連続ですね。実に楽しいです。

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