四曼相大論~三大説のうちの「相大」~

仏教的思考のための基礎知識

さて、三大説の「体」としてご説明しました六大は、宇宙の本体であり、万有の根源であって、一切の物事はことごとく六大より成立してるということになります。しかも、この六大はただの元素論ではなく、単なる哲学的原理でもありません。思想や教えと人格的存在が一致した存在である六大法身として成立している宗教的実在でもあるのです。ちょっと難しい感じになってきましたが、つまり、六大は大日如来そのものですよということです。
さて、ここで言います四曼とは四種曼荼羅のことで、空海の三大説になぞらえれば、六大より生み出された現象のことを指しています。「相」というのがそもそも現象のことですから、三大のうちの「相大」に配当されるわけです。これは、現象を哲学的に四種の方面に分類し考察しながら、同時に、宗教的に六大法身のお姿を四種の図像的形式によって表現するという、思想と美術が同時に組み込まれた、密教独自の世界です。これは、宇宙を一つの曼荼羅と見た考え方でして、六大体大論の帰結する場所とも言えるかと思います。

さて、ここで、空海における図像の位置づけを紹介したいと思います。上記にも説明いたしましたように、四種曼荼羅というのは、単に図像的な曼荼羅だけを指すのでも、単に哲学的な現象の分類を指すのでもなく、両者が同時に説かれることに意味があるわけです。そこには、空海の以下のような図像に対する考え方が重要になってきます。空海は『御請来目録』という、唐から自身が持ち帰った経典や図像のリストの中で、以下のように述べています。本来は漢文ですが、横書きになりますので、書き下し文で紹介します。

・『御請来目録』
密蔵深玄にして翰墨に載せ難し。更に図画を仮りて悟らざるに開示す。種種の威儀、種種の印契、大悲より出で一覩に成仏す。経疏に秘略にして之を図像に載せたり。密蔵の要実ここに繋れり。             (『大正蔵』五五・一〇六四頁・中)

前後にももう少しこれにつながる文章があるのですが、あまり漢文を出しますと小難しくなると思うので、短めに大事なところを引用しました。どういうことかと申しますと、まず、密蔵というのが密教の教えのことです。また、翰墨というのは筆と墨のことです。そこで、「翰墨に載せ難し」となりますと、文字や文章では表現できないという意味になります。つまり、「密教の世界は内容が奥深すぎて、言葉ではご説明できないのですよ。」と言っているのです。だから「図画の力を使って密教の世界を知らない人たちに開き示すのです。」と言うことなのです。この図画というのは図像として描かれた曼荼羅のことです。そして、これによって「一覩に成仏す」つまり、「曼荼羅を一目見たならば、いっきに仏の境地に達することができるんです」ということです。お経やその注釈書には、この大切な部分が説明されていないので、図像で示してますよ、とも言っていますね。そして、「密蔵の要実ここに繋れり」ですから、密教の世界の重要な真実というのは曼荼羅に繋がっているのです!!ということなわけです。

とにかく、密教においては、図像はとっても重要ですよ。図像がなければ、本当に重要な真実を説明することはできないんですよ。とおっしゃっているのですね。では、この曼荼羅思想というのがどういうことなのかを以下で説明いたします。

曼荼羅の思想

まず、上記より触れている四種曼荼羅というのは以下の四つを言います。

→大曼荼羅・三昧耶曼荼羅・法曼荼羅・羯磨曼荼羅

それでは、それぞれについて、仮に、思想的側面と図像としての曼荼羅の両者に分けて説明していきます。

ⅰ、大曼荼羅

・思想:「大」は五大や六大と同じ意味の大で、「周遍」とか「普遍」というような意味を含みます。ですから、六大より生み出され、成立する現象の全体像を指すと言えるでしょう。
・図像:仏の相好が具足しているすがたを指します。相好というのは、 仏の身体にそなわっているすぐれた特徴のことを言います。また、図像的には「大」に五大の意味を含ませ、五大(地・水・火・風・空)つまり、物質的な存在によって表わされた曼荼羅を指します。具体的には彩色された図画で表現される仏や菩薩の像などを言います。ですから、一般的に仏様の絵というと、多くは人の形に似た表現に相好を加えて表されていますが、これらはすなわち、大曼荼羅的表現が取られているということになります。

ⅱ、三昧耶曼荼羅

・思想:「三昧耶」は密教では「さんまや」と読みます。これには「本誓」という意味が含まれています。本誓というのはそれぞれの菩薩が衆生を救うために立てた根本的な願いのことです。上記に挙げた大曼荼羅が宇宙の普遍のすがたであるのに対し、三昧耶はもっと部分的なすがたを示す特殊相と言えます。世の中に存在する者は、一見、同一に見えてもそれぞれに必ず個性があります。そして、その姿は全て一個の本誓を示すもので、この世界に存在する草木国土、人といった一々の物事を三昧耶曼荼羅というのです。
・図像:図像的には絵画や仏像で表された時に、仏菩薩が刀剣や輪宝等の器具を持っていたり、手印を結んでいたりします。これらは全て、仏菩薩の内心の本誓を象徴したものです。そこで、このような仏の持ち物や手に結ぶ印などで描かれた曼荼羅を三昧耶曼荼羅と呼びます。

ⅲ、法曼荼羅

・思想:「法」というのは「文字」のことを指します。つまり、一切の言語や音声、文字や名前等のことです。こういった言葉というのは、それぞれがそれぞれの意味や理想の上に成り立っているものだという観点から、全てを如来の言葉と捉え、音や文字はそのまま真実を表現しているという考え方(これを声字即実相などと言います)に立脚するのが法曼荼羅です。
・図像:図像的には、仏菩薩の名を代表する種子(梵字)ないし、それを配置した曼荼羅を言います。

ⅳ、羯磨曼荼羅

・思想:「羯磨」(一般仏教的には「こんま」と読みますが、密教では「かつま」と読みます)は「作業」(さごう)という意味を含んでいます。「作業」というのは、行為やはたらき、活動といった意味です。そこで、宇宙における一切の活動、作用を言い、風や波といった自然現象とともに、仏菩薩の素晴らしいたたずまいや、行い、衆生を導く活動なども含まれます。
・図像:図像的には、立体的に表された仏の姿、つまり塑像や木造などの仏像等を指しています。

 

 

空海さんは、曼荼羅について「四種の曼荼は、即ち是れ真仏なり。(『吽字義』・『大正蔵』七七・四〇六頁・中)」とも言っています。四種曼荼羅は本当の仏ですよと言っているんですね。

また、数々の書物で空海さんは四種曼荼羅思想を使用します。たとえば、密教以外の仏教の経典を解釈する時には、密教以外の仏教も密教の範疇に組み込んでいくツールのように使っています。また、密教経典を解釈する際には、行者を悟りへ導くために大変、重要なものとして使用しています。また、曼荼羅こそが密教の境地であるとも説明しています。

四種曼荼羅思想というのは、本当に密教特有の考え方であるなと思います。また、この曼荼羅感覚を知っていると、普段、生活している世界が、とても面白く見えてくるものです。

例えば、すごく気持ちの良い風の音を聞いたとき、ふわっと「如来の声かな」なんて思って、素晴らしく爽やかな気持ちになれたりするのです。

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