自然体の仏様感

我が子のお話し

さて、ここのところ、あまりの忙しさに全く更新できていなかったのですが、2歳10ヶ月となる3女が最近、面白いことを言い出したので、書き留めたくなりました。それが、

「ほとけさまだ!」

の一言です。テレビに仏像が映ったとき、実際の仏像を拝んだときはもちろんのこと、仏塔を見たときなんかも結構言うのです。我が家の3姉妹は仏様を覚えるのがとても早い傾向にはあるのですが、仏塔を見て「ほとけさまだ!」なんて、なんだかやたらと的を得ていて面白いなと思いました。特に3女が良く見ているのは、京都のシンボル、東寺の五重塔です。京都南インターを降りて自宅に向かう途中などは、必ず通る道沿いに見えるのですが、近頃、これに向かって必ず「あっ! ほとけさま!ほとけさま!」と謎に興奮気味に言うわけです。他の家族は中に仏様がいらっしゃるから、そう言うのかな?という程度の反応ですが、実は、塔自体を仏様というのは正解なのです。

 この何とも的を得た、深い発言と、しかも、何も勉強したことのない3女が自然体で発するその言葉に、これこそ、かつての日本人が自然に感じ取った仏様感なのではないかと、一人で感動してしまっているわけです。

 まず、東寺の五重塔に関して言えば、これは仏様そのものなのです。東寺の五重塔内に入りますと、中央にドンと心柱が通っており、これを背にするように4尊の如来像が安置されています。これは密教でいうところの金剛界四仏と呼ばれる如来達です。さて、良く知られるのはこれら四仏の中央に大日如来を加えた金剛界五仏で、密教の根本美術である両部曼陀羅のうちの金剛界曼荼羅において最も中心になる五尊の如来様です。ところが五重塔内に大日如来は安置されていません。実は、真ん中にドンと通った心柱、これを大日如来そのものに見立てているからです。すなわち、塔全体を貫く心柱を大日如来と見立てることで、塔自体が大日如来であることを意味しているのです。密教では三昧耶形と言って、それぞれの仏様に象徴物を当てています。そして、大日如来の象徴こそが仏塔なのです。今でこそ、ビルも建ち並び、遠くから五重塔を拝むことは難しくなりましたが、かつて、京の都においては、かなり遠くからでも、この五重塔を見ることができたはずです。そして、それがそのまま大日如来そのものを拝んでいることを意味していたのです。

ということを知ってみて、3女が五重塔に向かって、「ほとけさまだ!」と言っている様子を見ると、その深さを感じ取れませんでしょうか。

つい、私は「そうだよ、あれは仏様だよ! さすが私の娘だ、よくわかってる。賢いね!」なんて褒めてしまうわけです。

ちなみに、五重塔内にはその他に八尊の菩薩像が、四方の柱には金剛界曼荼羅に登場する尊格が描かれ、壁には密教を伝えた8人の祖師達が龍猛から空海まで描かれます。つまり、五重塔は高くそびえ立つ金剛界曼荼羅なのです。是非、今度見るときはその大きさや高さといった建築的価値だけでなく、思想的価値も含めて鑑賞していただけるともっと感動できるはずです。

今回は東寺の五重塔を中心に3女の発言の深さを取り上げてみましたが、東寺の塔だけに当てはまる話しではありません。元来、塔は釈迦の遺骨を祭るための盛土であり、これをストゥーパと呼びます。このストゥーパが徐々になまって、卒塔婆となり塔となっていったのです。まだ、仏像も作られたことがなかった時代、塔(ストゥーパ)は仏教で唯一、礼拝対象として存在していました。すなわち、塔(ストゥーパ)自体が仏様だったのです。また、当然、釈迦の遺骨との関連性から、仏舎利を安置する場所としての成り立ちがあります。というわけで、東寺に限らず、塔を見て仏様だと思うのは大正解なわけです。 遠くからでも拝める仏様、それが塔なのです。そして、赤ちゃんが塔を見て自然に発した、「ほとけさまだ!」という発言こそが、古代から人々が感じてきた仏様に対する純粋な感覚に近いような気がしたのです。

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