家にいるだけということ~自粛と仏教修行~

仏教的思考

さて、新型コロナウィルス流行の影響で、学校は休校、保育園もできるだけ休むようにとのこと、仕事も自宅業務を中心とした間引き出勤となって、とにかくただ家にいるだけの時間が多くなりました。テレビやネットでも家での過ごし方についてたくさんの提案がなされていますが、それだけ、ただ家にいるだけということが現代人にとって辛く、しんどいことなのでしょう。私自身も、どちらかというと、ただ家にいるだけと言うことが苦手な人間です。実際3回の産後半年程度以外には、ここ何十年、ほぼほぼ毎日、何かしら出かけていることが多かったように思います。

しかも、学校も習い事もお休みとなっておりますから、子供たちもずっと家にいるわけです。こんなに多くの時間を子供たち全員と家で過ごすというのは、今までに経験したことのない日々でした。ちなみに主人もいますよ。

長女と次女はかなりストレスを感じているようで、小学校6年生の長女はいつも以上にキレやすく、暴言が多くなり、4月から小学校1年生として学校に通うはずだった次女は、すぐにいじけて、シクシク泣きやすくなっています。次女は、よほど学校が楽しみだったようで、まっさらなままのランドセルを眺めながら、「このままじゃ2年生になっちゃうやんか」と寂しそうで、本当にかわいそうです。

そんな中、「あー!! なんだかイライラするー!」と叫んでいた長女に対し、つい「これは修行や、仏様が与えてくれた修行やと思って耐えなさい」と口をついて出ました。あまりものを考えないで口走ったのですが、よく考えなおしてみれば、ひたすら同じ場所にいつづけるというのは、かつて、仏教寺院でも基本的な修行の一環であったことを思い出しました。今でも一部の寺院では行われている修行で、「籠山行(ろうざんぎょう)」などと呼ばれます。そこで、私も、これは、ごくごく軽い籠山行の機会を与えていただいたと思ってみようと考えたのです。

今でも籠山行が有名なのは、比叡山ですね。比叡山の東塔エリアから西塔エリアに歩いて向かいますと、途中に浄土院というお寺があります。比叡山を開かれた最澄さんの御廟のあるお寺です。ここでは、十二年間浄土院の外には一歩たりとも出てはいけないという十二年籠山行が行われています。十二年間浄土院に籠って最澄さんのお世話をされる修行です。これは、最澄さんが書かれました『山家学生式』という比叡山のお坊さんの心得をまとめた書物において、比叡山のお坊さんは十二年間、比叡山に籠って修行しましょうということが書かれていることに由来しています。最澄さんの書き方では、山から出さえしなければ、山内は動き回って良かったようなのですが、現代行われている浄土院の籠山行は浄土院から一歩も出ないというもので、さらに難易度が高いですね。江戸時代の元禄年間ごろから始まった形式だそうです。本当に大変な行ですから、我々の自宅待機とは比べ物になるわけもありませんが、一般市民にとっては、いつも行っている活動を自粛せざるを得ないのは、やはりある程度は大変なことですね。

このような籠山ということは、実は、比叡山だけで行われていたわけではないようです。私の勤めているお寺でも開山の真紹僧都という方がお坊さんの心得をまとめ居ていますが、そこにもお坊さんになったなら、六年間はお寺から出ないことと記されています。平安時代の初めころには、お坊さんになったなら、一定期間お寺から外に出ないという考え方があったようです。

さて、比叡山には三大地獄と言われる三つの地獄があるといいます。これは厳しい修行を地獄に例えた言い方ですが、回峰地獄・掃除地獄・看経地獄の三つです。回峰地獄はいわゆる千日回峰行の中心となっています無動寺、掃除地獄が十二年籠山の浄土院、看経地獄が横川で横川の読経三昧を指しています。十二年籠山では浄土院内を庭の隅々に至るまで、ちり一つないように掃除をします。それで、掃除地獄と呼ばれるのですね。そこで、私も、普段おろそかになっている家の掃除をしようと思い立ちました。正直に言いますと、私がいくら片付けようが掃除をしようが、休校中の子供たちがすぐに元通りに散らかしてくれますので、全く意味がないのです。普段であれば私も仕事に出ていますので、毎日元通りに片付けるのは困難です。ところが、今は家にいることが多いですから、これを機会に毎日元通りにするように心がけることにしました。

皆さんそれぞれ自宅での過ごし方に工夫なさっていることと思います。それでも、皆で籠家行に努めたおかげで、日々の感染者が減ってきましたね。きっと、もうすぐ、元通りとまではいかないでしょうが、学校や仕事は通常営業に戻ることでしょう。それまで、自分なりの修行を楽しんで、ある意味での非日常を体験できたことを前向きに考えたいと思います。

ちなみに、久しぶりに、花を2か所に飾りました。家の東の出窓には今まで、毎年節分に壬生寺さんで子供の数だけ買い求める厄除け達磨や、様々なリモコンなどを置いていたのですが、1歳の三女が座椅子の背もたれに上って全て落とし、家のあちこちに運んでしまうようになったので、そこからは撤収しました。代わりに花を置いてみたのです。本当に不思議なのですが、何でも手に取ってぐちゃぐちゃにすることに夢中の三女が、なぜか花にだけは乱暴をしないのです。全然、手を出しません。花には何か不思議な効果があるのでしょうか。仏に献花をする意味を改めて感じ入りました。

真ん中のバラとカスミソウは娘たちからの母の日のプレゼント
壬生寺さんの厄除け達磨

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