一切皆苦という出発点

仏教的思考

さて、諸行無常の記事を書きながら思い出したのですが、私が初めて仏教の言葉に心をつかまれたのが、諸行無常ともう一つ、一切皆苦でした。まだ、20歳くらいの頃だったと思います。当時は色々と思い悩む側面のある人間で、生きているとどうしてこうもしんどいことが多いのかと良く思いめぐらせていたように記憶しています。その頃にどの本だったかは覚えていないのですが、お釈迦様に関する本を読んだのです。そこには、お釈迦様はお悟りを得られた時「人生は苦である」と説かれたということが書かれ、また、「生まれたものは必ず死ぬ」と繰り返し説かれたと書かれてありました。つまり、一切皆苦と諸行無常ですよね。当時の私はなぜかこれに非常に心打たれたのです。仏教では一切皆苦、つまり全ては苦であると言います。その時の私がまさに、全ては苦だと思っていたのです。だから、お釈迦様はなんて正しいことを言うのだと感動したのですね。

この苦というのはつまり「思い通りにならない」ということを意味しています。一言で分かりやすく言えば、「人生って思い通りにならないですよね。」という意味と言えるかなと思います。この記事的に、もう少し限定的に言うと「本当、子育てって思い通りにいかないですよね。」ということですね。諸行無常の考え方よりは救いの可能性は低いかもしれませんが、思い通りにいかないのが、当たり前なのですよと納得するためには非常に優れた考え方だと思います。

苦しみを取り除くためには執着しないことだとお釈迦様は説かれますが、執着しないというのは、実際、非常に難しいことです。普通の人間なら、ある程度は執着心があって当然かと思います。ただ、確かに執着しないようにするのは難しいのですが、思い通りにいかないのが当たり前なんだなという基本思考がありますと、執着してしまっていても、それがうまくいかなかった時の切り替えが早くなるような気はします。

「こういう風になると良いなと思っていたけど、そうはならなかった」ということですね。

この「こういう風になると良いな」はまさに執着ですが、「そうはならなかった」わけですから、思い通りにならなかったということになります。ここで、それを当たり前だと思っていた場合、「まあ、今回は思い通りにならなかったけど、それが当たり前なんだよな」と思っているわけですから、「仕方ないか!」とすぐに気持ちを切り替えることができます。

本当に、子育てって思い通りになりませんよね。自分の人生も思い通りにいかないのですから、別の個人として生まれてきた子供を思い通りに育てようなんて、ある意味ナンセンスなんだろうとは思います。それでも、こうなると良いなとか、こういう学校に行かせたいなとか、考えてしまうのが親と言うものかもしれませんね。我が子はまだ、11歳ですが、すでに思い描いていた11歳とは全く違う状態になっております。生んだ時は、私がそうであったように、「塾に行って勉強し、中学受験でもするのかな」なんて思っていましたが、全くそういう方向には進みませんでした。長女に中学は受験しないの?と何度か聞いてはみましたが、「するわけない。勉強なんか大嫌い」と言われてしまいました。今は毎日、ダンスのレッスンにばかり通っております。本当に予想もしなかったような状況です。ところが、先日の大会で、長女の所属するダンスチームが準優勝しました。まさか、コンテストで上位に絡むようになるなんて思ってもおりませんでしたので、ただただ驚いております。私の思っていた方向とは真逆に進みましたが、それでも、それなりに頑張っているようだとわかり、安心いたしました。

人生も子育ても本当に、思うようにいかないことばかり。でも、仏教の一切皆苦が常に、思い通りにいかないことを当たり前と捉えさせてくれます。

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